1984年、モデルがソーホー・ブラッスリーに現れ、「目を覚まして、そして酔わせて」と注文したとき、バーテンダーのディック・ブラッドセル氏はその場の状況からインスピレーションを得ました。
バーにはちょうど新しいコーヒーマシンが導入されたばかりで、カウンターには細かく挽いたコーヒー粉が舞っていました。どうせならコーヒーの風味を生かすしかないと考え、着想を得たのです。
ブラッドセル氏はウォッカとエスプレッソ、そしてカルーアをシェイカーに入れて振り、世界初のエスプレッソマティーニを誕生させました。
娘のベアさんが振り返ります。「父はその一杯が将来アイコンになるなんてほとんど考えていなかったと思います。」
「人々がその味を話題にしているのは分かっていたようですが、そこまでの未来は見えていなかったのでしょう。
実際、今のように世界的に知られる存在になったのは、彼が亡くなった2016年以降です。」
今や定番となったエスプレッソマティーニは今年で40年を迎え、人気はかつてないほど高まっています。最近の人気調査では、イギリスで第7位に、アメリカでは第2位にランクインしています。
テクノロジーによるツイスト
「The Drink Cabinet」(ザ・ドリンク・キャビネット)でバーテンダー兼ホスピタリティコンサルタントを務めるブラッドセル氏の娘は、これまで数え切れないほどのエスプレッソマティーニを作り、提供してきました。そして、ステアやミルクパンチ、さらにはスラッシーなど、さまざまな形で新たなツイストが加えられていくのを楽しんでいます。
彼女はロンドンの「Satan’s Whiskers」(サタンズ・ウィスカーズ)で最近提供された一杯について語ります。それはコーヒーの製造過程の各段階を時間の経過によってどう変化するかを探ったもので、「伝統的なエスプレッソマティーニとはまったく異なるものでしたが、とにかく絶品でした」と話します。
ちなみに、ブラッドセル氏によれば、エスプレッソのショットが入っていなければ、それはもう「エスプレッソマティーニ」ではないそうです。
昨年、インターネット上ではパルメザンチーズを添えたレシピが大きな話題となりました。しかし彼女はそれほど驚かなかったといいます。実際、彼女自身も塩を加えることがよくあり、同じ効果があったからです。
「ツイストは、バーテンダーがメニューの生み出す利益に大きなリスクを負うことなく実験できる、ベストな方法です。
というのも、コーヒーカクテルは利益率と人気が安定しているため、安心して創意工夫を試すことができるからです。」
テクノロジーのおかげで、店はトレンドを素早く取り入れ独自の一杯を作りやすくなりました。
その一例が、今ではイギリス全土のパブに普及しているニトロ・エスプレッソマティーニマシンです。
「バーテンダーチームはシンプルなトレーニングだけで済み、専門知識がそれほどなくても、より複雑なカクテルを作れるようになっています」と彼女は語ります。
美食からドリンクへ
環境もまた豊かなインスピレーションの源泉です。とりわけ成長著しい東南アジアのカクテルシーンでは顕著です。
イギリスからバンコクに移り住み、「Vesper Bar」(ヴェスパー・バー。アジアのベストバー50で第12位にランクイン)や新店舗「4th Wall」(フォース・ウォール)を運営するトム・ハーン氏に尋ねました。
「私は野生の季節食材を探し歩き、その知識を深めるのが大好きなんです。
最高の食材を手に入れる一番の方法ですから。
つまり、旬の食材や自然の中で見つかるものを活かすのです。」
ただし、フォレージング(食材の採取)は森や山を歩き回るだけではありません。市場や郷土料理、レシピ本などもまた重要な手掛かりとなります。
ハーン氏は、そうした食材を魅力的な新しいドリンクに応用できると語ります。
「たとえば、生姜スープに入ったゴマ団子のような料理に出会うとします。これが本当に美味しいんです。
その体験をほぼそのままカクテルに置き換えることもできます。
たとえば、黒ゴマ団子をガーニッシュにしたゴマと生姜のマティーニを作る、といった具合です。」
完成!あなたのための一杯をどうぞ。
アイデアを形にする
異なる文化が混ざり合った影響が大きかったのは、シドニーに「Maybe Sammy」(メイビー・サミー)がオープンした5年前のことでした。
そのコンセプトは、きらめく港町にラグジュアリーなヨーロッパのホテル体験を持ち込む、というものでした。
ステイはできないけれど一流ホテルのバーのような空間を…ロンドンの「Artesian」(アルテジャン)出身のアンドレア・グアルディ氏や、「The Savoy」(ザ・サヴォイ)の「The American Bar」(ジ・アメリカン・バー)で活躍したマルティン・フダク氏といった世界的なバーテンダーが腕を振るいました。
これは正真正銘のバーであり、大きな野心を掲げていました。
バーテンダーのサラ・プロイエッタ氏によれば、共同経営者のステファノ・カティーノ氏がニューヨークを訪れたことが、店の方向性と運命を決定づけたといいます。
マンハッタンのダウンタウンを巡った彼は、「Katana Kitten」(カタナ・キトゥン)のように東京の脇道に迷い込んだような雰囲気の中で、アジアに着想を得たカクテルと日本のストリートフードを楽しむ体験に圧倒されました。
「細部へのこだわりと、その場で感じた楽しさに心を打たれて、思わず涙を流したんです」とプロイエッタ氏は振り返ります。
それ以来、ゲストに楽しい雰囲気を届けることが最優先事項になりました。
バブルガンを取り入れたり(毎月2本は消費するそうです)、ある時間になるとスタッフ全員が道具を置いてダンスを披露するなど、ユニークな演出が加わりました。
ピンクのディナージャケット姿も評判を呼び、SNSで話題となり、2023年にはインターネット上の人気度を基準にした「Top 500 Bars」で第1位に選ばれました。
適応力を持つこと
一方、シドニーの華やかさとは対照的に、パリの「Abricot」(アブリコット)バーの誕生は一筋縄ではいきませんでした。
ロサンゼルス出身のジェニファー・クレイン氏とブルックリン出身のアリソン・ケイブ氏による共同プロジェクトの最初の構想は、小皿料理を提供するバーでした。
しかし、コロナ禍が訪れ、その計画は頓挫しました。
米国でレディ・トゥ・ドリンク(RTD)の宅配が急成長しているのを目にした2人は、自分たちでも試してみることにしました。
「パリの人たちに受け入れられるだろうか?」
とクレイン氏は当時を思い返します。
こうして誕生した宅配サービス「Izzy’s」(イズィーズ)は意外な大成功を収めました。ケイブ氏がパン職人でもあったため、きれいに箱詰めされたカクテルには焼き菓子まで添えられていたのです。
その後、コロナ規制が緩和されると、市場は正常化し、顧客は再び実店舗の賑わいを求めるようになりました。
2人もそれに合わせ、2023年初めに「Abricot」(アブリコット)を開店しました。
街角にたたずむこのバーは、瞬く間に国際色豊かな客層の心と舌をつかみました。
大胆に「アメリカらしさ」を打ち出し、サンクスギビングやハロウィン、シンコ・デ・マヨといった大きな祝日に合わせたテーマナイトを開催し、特別なカクテルを提供しています。こうした取り組みを定期的かつ見事に行うパリのバーは、ほとんどありません。
「パリのコミュニティに、これまで存在しなかった新しいものを持ち込んだと言っていただけることが多いです」とクレイン氏は語ります。
ただしクレイン氏にとって重要なのは、トレンドに流されることではなく、自分たちの価値観を貫くことです。
その一例が責任あるサービスへの取り組みです。
オリジナルと見分けがつかないノンアルコールのカクテルや、低アルコールのアペロタイムを提供しています。
こうした取り組みの背景には、クレイン氏自身の経験があります。
「2度の妊娠中、飲めるものといえばシャーリーテンプルやリンゴジュースなど、大人の女性にふさわしいとは言い難い退屈な選択肢しかなかったんです。」
シークレットソース——エッセンス版
最後の言葉はサラ・プロエッタ氏に託します。彼女は、流行のテーマやバイラルドリンクよりも、本物であることが何よりも大切だと言います
。
「『Maybe Sammy』(メイビー・サミー)が本物であり続けられるのは、私たちが自分の仕事を心から楽しみ、その過程も大切にしているからです。
ゲストとも一緒に楽しみながら過ごしていて、それがとても自然体で伝わるからこそ、成功につながっているのだと思います。」
そして最後に、バブルガンを手に取り、私たちに向かってひと吹きしてみせました。